「朝のあかり」の中に「終着駅」という
エッセイががある。
私はこのエッセイの最初の一文にひどく
惹かれた。
その文章は以下のようなものだった。
いちにちの勤めを終えて家に帰る。
その途中、毎日といっていいほど
喫茶店に通った。
格別にコーヒーが好きなわけでも
なく、自分を解放するわずかな
時間がほしかったのである。
何気ない一文。
でも、外で働いたことのある女
ならば、多分この一文の意味
するところを理解してくれる
だろうと思う。
なぜ、喫茶店なのか。
なぜ、自宅の部屋ではだめな
のだか。
そう、自宅ではだめなのだ。
そこは、あまりにも私的
な空間だから。
会社という公的空間から
解放され、別の時間に移行する
わずかな時間、
まったくの他人のいる、どこにも
何にも所属することのない自分で
いられる場所を、女は必要とする
からである。(少なくとも私は)
そこで女は、やっと無二の
「わたし」という存在になれる。
そうして、そこから「わたし」
の物語がはじめられるのである。