ベルソン先生の指 第1話

午後3時40分
恵子は、渋谷行きの電車をやりきれない気持ちで
待っていた。


すべてが八方ふさがりだった

「すいぶんこちらも我慢したんですよ。もう半年間、
元本どころか約定利息すら満足にお支払いいただいて
ないんですから」


きのう、借入先の銀行からかかってきた電話は、
これ以上、返済期限を延ばすことはできないという
最終通告の電話だった。

音大を卒業してから20年

恵子は夫と一緒にネットでアメリカの古着を売る商売を営んできた。
事業を始めた当初は、古着をネットで売るものはほとんどなく
外国まで行って、ひどく安価で買付けた古着は飛ぶように売れ、
着古された衣類は二人に多くの利益をもたらした。


だが、ここ10年、ネットの古着販売がおいしい商売であると
知れ渡ると、新参者が乱入し、いくら値引きをしても古着は
売れなくなってしまった。


そうこうするうちに、仕入れのための経費がかさみ
借金はみるみる増えていった。


「なあ、恵子。お父さんに少し金を融通してもらえないか
頼んでみてくれないか」
と電話の後、夫の直人は言った。

「少しでいいんだ。ほら、お前のお父さん、公務員だったろう。
結構な退職金をもらってるはずだ」

「馬鹿言わないで。そんなこと父に頼めるはずないじゃない。
父は私が音大を中退してあなたと結婚したことを
まだ許してくれてはいないのよ」

恵子の父は、商業高校を卒業するとすぐに市役所で働き始めた。
そうして、定年まで勤めあげるときっぱりと仕事をやめ、
今は母と二人、小さなアパートでつつましく暮らしている。

そんな父が自分を分不相応な音大に入れるのに
どんなに苦労して金を工面してきたか、恵子は
よく知っていた。

そのことを考えると、恵子は父に1円でも金の無心をする
気にはならなかった。

「恵子。お前の気持ちもわかるが、今はそんな悠長な
ことを言っている場合じゃない。
もし、借金が返せなければ俺たちはこの家を追い
出され露頭に迷うしかないんだぜ」

恵子は夫の必死の懇願に、仕方なく父に会う決心をした。

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